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第二屆江蘇省“舜禹杯”日語翻譯競(jìng)賽 日譯中對(duì)譯文
閱讀次數(shù):    發(fā)布時(shí)間:2017/05/16

第二屆江省“舜禹杯”日譯競(jìng)賽 對(duì)譯

日本人とは何か

われわれは何を望むか。それはまだ形をなしていないと私はいった。これは事実の問題であって、それ以上何をつけ加えていうこともない。われわれは何を望み得るか。これは可能性の問題であって、私は私なりに意見をいうことができるだろう。私の意見はさしあたって二つある。

 第一、過去の日本人は、一方で造型的な感受性と趣味の鋭敏さを?qū)g証し、他方で工業(yè)技術(shù)の発展に能力を示した。しかしその二つのものを結(jié)び合せることはできなかった。多分われわれはその結(jié)合を望むことができるだろう。われわれを勇気づける徴候は、すでに建築の一部にあらわれている。そこでは鉄やコンクリートで建てる技術(shù)と、伝統(tǒng)的な美的感受性とが融和している(ただし伝統(tǒng)的な感受性との融和であって、木造建築の形との融和ではない。木造建築の形がコンクリートの材料と融和するはずのないことは、わかりきっている。融和するはずのないものを無理にむすびつけてつくった世にもぶざまな建築の典型的な例は、東京九段のその名も軍人會(huì)館という怪物である)。建築の成功は、たとえ少部分での成功のようにみえても、おそらくその意味するところが大きい。なぜなら建築はそこで人間が働き暮す場(chǎng)所であり、またすべての造型美術(shù)の母體でもあるからだ(彫刻はその柱や欄間から、絵畫はその壁から、次第に獨(dú)立して出て來たものにすぎない)。すべての創(chuàng)造的な時(shí)代は、何よりもまずその建築に時(shí)代精神の形を見出していた。たとえば紀(jì)元前五世紀(jì)のギリシャ、紀(jì)元後八世紀(jì)の日本、十二世紀(jì)のフランス等。建築が精神の問題でなくなったのは、現(xiàn)代的な病のいちばん重い癥狀の一つである。建築に調(diào)和を発見するということは、おそらく、単に日本の問題であるばかりでなく、現(xiàn)代の世界の問題の核心にも觸れているのである。


第二、過去の日本人は開國によって近代的な國家をつくりあげることに成功したが、それは技術(shù)的な開國であり、つくりあげた國家は技術(shù)的に近代的であったにすぎない。十九世紀(jì)半ばの技術(shù)的(物質(zhì)的)な開國に対し、現(xiàn)在二十世紀(jì)の半ばに、おそらくわれわれは思想的(精神的)開國を望むことができるだろう。この場(chǎng)合にわれわれを勇気づける條件はいうまでもなく日本歴史の上ではじめて明瞭に人権を保証した憲法である。人権宣言のいまだ嘗てなかった社會(huì)で西洋の近代思想を問題にするのは、極端にいえば學(xué)者の道楽にすぎなかった。ところが思想は他の何であり得るとしても本來道楽の対象ではあり得ないはずのものだ。開國以來今まで思想的には依然として鎖國がつづいていたといっても、大局を誤ることにはならないだろう。現(xiàn)にこの鎖國は、外國思想との交渉の問題になるよりもはるかに手まえで、日本人の精神的構(gòu)造そのものにおける鎖國的特徴としてあらわれていた。今はその詳細(xì)にたち入ることはできない。しかしとにかく戦前の日本に育った日本人のほとんどすべてには共通のある精神的特徴がある。その特徴を簡単にいえば、まず心理的な段階では、閉鎖的であること、思想的な段階では、ものの考え方の普遍的でないことである。思想的な段階では話が面倒になる(という意味は、決して問題があいまいだということではないが)。心理的な段階では、たとえば外國で何年間か日本人旅行者の反応を観察すると、容易に話がはっきりする。一定年齢以上の日本人旅行者の反応は、ほとんどすべての外國人の反応、及びそれと何ら変るところのない一定年齢以下の日本人の反応と、著しくちがっている。しかもその特殊性は、性別、教養(yǎng)、知能の程度、個(gè)人的な性格の差などとは、おどろくべきことに、ほとんど全く関係していない。そうではなくて、ただ精神的鎖國の結(jié)果と関係しているのである。若い日本人にそういう特殊な反応がほとんどないのは、単に若さの問題ではなく、育ってきた環(huán)境の閉鎖性が少くとも心理的には崩れはじめているからであろう。私は精神的鎖國の原則が、すでに憲法で崩れ、その心理的影響が、青年において崩れはじめていると結(jié)論したいと思う。しかしもちろんその結(jié)論から、思想的開國までゆくのは遠(yuǎn)い道である。人権宣言にもとづく憲法とおそらくは生活様式の推移から來る心理的な開放性、――この二つの條件だけから、精神的開國ができないことはいうまでもない。しかし二つの條件は、われわれが精神的開國をのぞむときに、われわれを勇気づける現(xiàn)実的な根拠にはなり得る。そしてすでに現(xiàn)れはじめているそのような條件を維持し、拡大し、われわれの望みを空想に終らせないためには、どうしても平和が必要だということになる。戦爭(zhēng)、戦爭(zhēng)の準(zhǔn)備、戦爭(zhēng)を予定した措置のすべては、人権を冒す最大の理由であり、多かれ少かれ民主主義をその原理において侵害するものである。そのことに疑の余地はない。その意味でわれわれは平和を望むことができるだろうし、その理由は単に原爆の被害が忘れられないということばかりではなく、日本の軍國主義的権力の人権に対する加害が忘れられぬということでもあり得るだろう。人権に対する加害は同時(shí)に精神的鎖國を?qū)Г?。ところが開國の必要は、外國の思想の輸入などということとは全く無関係に、偉大な地方的文化をいかにして普遍的な価値の世界へ引き入れるかという望み以外のものではない。

日本人とは何か――さしあたって何であるかわからぬ。しかしやがて技術(shù)文明のなかに人間的な感覚の「形」を?qū)Г毪欷毪趣いχ卮螭菦Q定的な仕事に熱心なあまり、平和をねがわずにはいられない一國民になり得るでもあろう國民である。われわれはそのような歴史を負(fù)い、今も活気にみち、自分の能力のほんとうの使いみちを探しているのだ。

加藤周一『現(xiàn)代倫理講座』筑摩書房、1958年

何謂日本人

我們希求什么?我說過這一想法還沒有成形。這是事實(shí)的問題,沒有必要再補(bǔ)充什么。我們能夠希求到什么?這是可能性的問題,我應(yīng)該能發(fā)表自己的意見吧。我的意見現(xiàn)在有兩點(diǎn):

第一,過去的日本人一方面實(shí)際證明了造型的感受性和情趣的敏銳,另一方面又顯示出了在工業(yè)技術(shù)發(fā)展方面的才能,但并未能將這兩者結(jié)合起來。大概我們可以希求將它們結(jié)合吧。給予我們以勇氣的征兆已經(jīng)在建筑的一些方面體現(xiàn)出來了。在那里,使用鋼筋水泥的建筑技術(shù)與傳統(tǒng)的美的感受性得以融合。(不過,那是與傳統(tǒng)的感受性的融合,并非與木結(jié)構(gòu)建筑形式的融合。誰都明白,木結(jié)構(gòu)建筑的形式無法與鋼筋的材料融合。位于東京九段的軍人會(huì)館就是將不能融合的東西牽強(qiáng)地聯(lián)系起來建造出的人世間拙劣建筑的典型例子。)建筑的成功,哪怕看上去只有少部分的成功,其意義或許也會(huì)很大。這是因?yàn)榻ㄖ侨祟惞ぷ?、生活的?chǎng)所,另外還是所有造型美術(shù)的母體。(雕刻只不過是從其柱子以及欄桿,壁畫只不過是從其墻壁逐漸獨(dú)立而形成的藝術(shù)而已。)所有創(chuàng)造性的時(shí)代,首先都是在其建筑中發(fā)現(xiàn)時(shí)代精神的形式。例如,公元前5世紀(jì)的古希臘以及公元8世紀(jì)的日本、12世紀(jì)的法國等。建筑不再是精神的問題,這是現(xiàn)代的惡癖病入膏肓的一種體現(xiàn)。在建筑中發(fā)現(xiàn)協(xié)調(diào),恐怕不單單是日本的問題,也涉及到現(xiàn)代世界的問題的核心。

第二,過去的日本人通過打開國門成功地建立起了現(xiàn)代化的國家,但那是在技術(shù)上打開國門,建立起的國家只不過在技術(shù)上實(shí)現(xiàn)了現(xiàn)代化。與19世紀(jì)中葉在技術(shù)上(物質(zhì)上)打開國門相對(duì),在20世紀(jì)中葉的今天,我們大概可以期待在思想上(精神上)打開國門。在這種情況下,給我們帶來勇氣的條件自然是日本歷史上第一次對(duì)人權(quán)明確給予了保障的憲法。在還沒有人權(quán)宣言的社會(huì)來探討西洋的近代思想,說得極端一點(diǎn), 那只不過是學(xué)者們的消遣。但是,思想就算可以成為其他,也不能成為消遣。即便說閉關(guān)自守的狀態(tài)在國門打開之后仍然在思想界持續(xù),大概也不會(huì)有大錯(cuò)吧。事實(shí)上,閉關(guān)自守在作為與國外思想進(jìn)行交流的問題之前,很早就作為日本人精神構(gòu)造中的閉關(guān)自守性特征體現(xiàn)出來了。在此,不能對(duì)此問題進(jìn)行詳細(xì)的闡述,總之那是在戰(zhàn)前日本長大的幾乎所有日本人共通的精神特征。其特征簡單地說,首先在心理方面是閉塞的,在思想方面對(duì)事物的思考方式不具有普遍性。思想方面的內(nèi)容比較麻煩(決不是說問題曖昧),而在心理方面,譬如若是在國外觀察幾年日本旅行者的反應(yīng),其道理就很容易弄清楚。一定年齡以上的日本旅行者的反應(yīng),與差不多所有外國人的反應(yīng),以及和他們沒有絲毫差異的一定年齡以下的日本人的反應(yīng)迥然不同。而且令人驚訝的是,其特殊性與性別、教養(yǎng)、智商、個(gè)人性格的差異基本上無關(guān),而僅僅只與精神上的閉關(guān)自守的結(jié)果相關(guān)。年輕的日本人之所以基本上沒有那樣的特殊反應(yīng),不僅僅是因?yàn)樗麄兡贻p,大概是因?yàn)樗麄兊纳L環(huán)境的閉塞性至少在他們的心理上已經(jīng)開始消散。我想得出的結(jié)論是:精神上的閉關(guān)自守原則已經(jīng)因?yàn)閼椃ǖ闹贫ǘ呓?,其心理的影響在青年中已?jīng)開始消散。當(dāng)然,從這個(gè)結(jié)論到思想開放的路程還很遙遠(yuǎn)。不用說,基于人權(quán)宣言的憲法以及因?yàn)樯罘绞降淖冞w所導(dǎo)致的心理的開放性——僅僅靠這兩個(gè)條件,精神上的開放是無法實(shí)現(xiàn)的。但是,這兩個(gè)條件在我們希求精神上的開放的時(shí)候,能夠成為給我們帶來勇氣的現(xiàn)實(shí)根據(jù)。而且,為了維持已經(jīng)開始出現(xiàn)的那些條件,并將之?dāng)U大,以使我們的希望不落空,和平無論如何都是必要的。戰(zhàn)爭(zhēng)、戰(zhàn)爭(zhēng)的準(zhǔn)備、計(jì)劃實(shí)施戰(zhàn)爭(zhēng)的所有措施是侵犯人權(quán)的最大理由,多少在原理上會(huì)損害民主主義,這一點(diǎn)是毫無疑問的。在這個(gè)意義上,我們可以希求和平,其理由不單單是不能忘記被原子彈轟炸的災(zāi)難,也可以是不要忘記日本軍國主義政權(quán)對(duì)人權(quán)的侵害。對(duì)人權(quán)的侵害同時(shí)也會(huì)導(dǎo)致精神上的閉關(guān)自守。不過,與引進(jìn)外國思想完全不同,開放之所以必要,無非是因?yàn)閷?duì)如何將偉大的地方文化引入具有普遍價(jià)值的世界寄予著期待。

“何謂日本人?”——目前還不知道。不過,因?yàn)槿毡救藢?duì)在技術(shù)文明中導(dǎo)入人類感覺的“形式”這種重要的、決定性的工作非常熱心,或許在不久的將來能成為熱愛和平的民族。我們肩負(fù)這樣的歷史使命,現(xiàn)在也在充滿活力地探求如何發(fā)揮自己才能的方法。

原載《現(xiàn)代倫理講座》,筑摩書房,1958

【文責(zé) 彭曦】


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